2019-10-23 第200回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
ただ、日本では、清貧な研究者と言えば言葉はいいですけれども、貧乏な学者の代名詞にPhDはなりつつある状況でもあるんです。 ここで、日本、我が国が幾ら優秀な人材を招聘しようとしても、やはり、ポストがない、そして研究室を用意できない。これでは優秀な人材は集まらないですよ、大臣。 AMEDは内閣府の担当、大臣の御担当ですよね。
ただ、日本では、清貧な研究者と言えば言葉はいいですけれども、貧乏な学者の代名詞にPhDはなりつつある状況でもあるんです。 ここで、日本、我が国が幾ら優秀な人材を招聘しようとしても、やはり、ポストがない、そして研究室を用意できない。これでは優秀な人材は集まらないですよ、大臣。 AMEDは内閣府の担当、大臣の御担当ですよね。
研究者は、先ほどもお話をしましたが、実際、生活費が非常に苦しい、まさに清貧という状況で皆さんやっております。その中で、もちろん給与面をサポートするのが一番望ましいです。ただ、それは多くの予算がかかることであって難しい。 であれば、研究者は実はいろいろな学会に所属しております。それは、まず年会費が要ります。学会に参加するのに参加費が要ります。
我が国がそれなりの達成をしました後、バブルになりまして、清貧論というのがはやりました。しかし、清貧論というのをこれを英語に訳すれば、ピュアでプアだということでございますが、こうしたピュアでプアで生きていくというようなことをバングラデシュとかフィリピンのごみの山のところで言えば、これは、余りにも日本のその身ぎれいさあるいは清潔さ、すなわち富というものと、言っていることとが違います。
松陰にも大きな影響を与えた彼は、富貴に惑わされず貧苦にもくじけず、清貧を守って折り目正しい一生を、積極的に、上機嫌に送りつつ、人のために、人と和して生きるという倫理観を実践した人でありました。私は、彼こそが正に美しい国の国民が目指すべき生き方をした人物であったと思います。 しかし、総理、今の世の中は全く逆になっているとは思いませんか。
延命措置を講じながら使っていく、相当清貧、家庭でいいますと清く貧しい、そういったような形にならざるを得ないわけであります。
要するに、これはいろいろなそれぞれの考え方があると思いますが、非常に禁欲的な清貧な生活、晴耕雨読というか、そういうものが基盤にあった生活から、だんだん豊かになっていくと、人間、どうしても物質主義、ある程度物を豊かにする、そういうものに価値観が変化していく、そういう人間の価値観の変化というのが大きいと思います。
さらに、私がちょっと気になりますのは、じゃ、弁護士になった、あるいは司法の法曹になった後には資力が上がるだろうから返せるんではないかという御認識がやっぱり塩川大臣の中におありになると思うんですが、しかしこれも実は大きな誤解でありまして、確かにそうした金銭的に恵まれた弁護士になられる方も少なくないと思いますが、しかし、本当に自由と正義を追求していこうという法曹の方々というのは非常に清貧な弁護士で、本当
それを申し上げると、何か清貧の思想というか、質素倹約をモットーというような感じになるかもしれませんが、決してそういう意味ではございませんで、ある程度の所得だとか資産だとか、それから健康ですね、こういうものが備わった上での心の豊かさということが大事だと思っております。
そうしますと、村長、村会議員全員、村の助役さんも含めて、このダムの計画は長いこととまっていたけれども、調査費が八億円もついて、そして動き出そうとしている、これは本当に困るので、我々はもう清貧に甘んじたい、そんな巨大な開発だなんだという話はやめてほしいということで、反対を打ち出された。 さらに、もう一つ下流の十日町市、こちらの方の選挙でも反対を正面に掲げた方が当選された。
ところが、とにかく使い捨てを美徳とするがごとく、清貧の教えはだめで、むしろたくさん捨てていく、使っていくというようなことが日本の経済を回してきた、こういう時代になりまして、私たちは昔のことを知っているだけに、本当にむだ遣いの多い社会だなというふうに感じております。
お金をもうけられないから自分が清貧だなどと言っても通用はしません。しかし、金をもうけるけれども、成金的に金を使わずに、そしてルールを守りながら、本当に必要なところにお金の値打ちを知りながら使っていく、これが私は本当の富国有徳だと思うんですが、市場原理万能の物質的な規制緩和論がまかり通る現状において、これからの日本の改革をリードしていかれる総理の御見識を伺いたいと思います。
どうも有徳の方は、清貧、清く貧しく我慢していく、こういう話になるかもしれませんが、個人の所得が世界一の日本が清く貧しくなんて言ったって、所得の低い国から見れば、何を言っているんだ、バブルの反省でも言っているのか、こういうことになるのかと思いますけれども、それはそれで大事なことでありますので、富国有徳ということを進めていっていただければと思いますが、具体的にはどういう目標でやっていくべきだと長官は考えておられるか
貧困というのは、清貧洗うがごとしというのは、これは清く潔いという観点からすればいいんでしょうけれども、貧困が社会悪を招く、犯罪を誘発するということも多いに考えられることでございます。 日本は今四十一カ国に対して円借款で約九千億円の債権を持っておりまして、G7の中ではフランスに次ぐ債権国である。
公務員というものは、明治の昔からこのように位置づけられ、社会、公共に奉仕する崇高な志のもとに、清貧に甘んじても国家国民の未来のためにささげる存在としてその制度を社会に定着させてきたのだと思うのです。そうだとするなら、今日の大蔵省を初めとする官僚の中の風紀の乱れに対して、いかにこれを正し対処していくのか、総理のお考えを伺って質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
同時に、中野孝次さんという方が書いておられるが、「清貧の思想」というのがある。清貧の思想、清く貧しく。何も清く貧しく美しくということを私は言っているんじゃないんですよ。自己の哲学と自分の思想で本当に簡素な生き方を選択できないかと。これは、明治、大正、昭和初期まであったんです。残念ながら、今もう社会からほとんどその風潮は消えてしまった。
そして、ある方はそれを伝統文化の保持に求められ、また今議員は恐らく、中野さんの「清貧の思想」を挙げられたのは、その中にありますような考え方を一つの御自身の中におけるメルクマールと位置づけておられるのだろうと思います。 そして、目標という言葉に当たるかどうかわかりません。
○橋本内閣総理大臣 今中野さんの「清貧の思想」を要約されながら、議員としての御意見を述べられたと思います。 私は、もともと日本が築き上げてきた文化の体系というものは、自然との共生というものが中心であったと思います。そして、その歴史の中において幾つかの変革の機会がありました。例えば鉄砲伝来という形でヨーロッパ文明に触れたとき、しかし、それでも基本的な体系は変わらなかったように思います。
ところで総理、総理は大変な読書家であるというふうに伺っておりますので、多分お読みになったことがおありかと思いますが、「清貧の思想」という本が、実は数年前、九二年にベストセラーになりました。「清貧の思想」、これは中野孝次さんという作家、評論家の書かれた本でありますが、これが大変なベストセラーになった。約七十万部、今売れているわけで、文庫本にも最近なっているわけでございます。
このことは、総理の清貧そのものの誠実な人柄やその透明な政治手法が国民に評価され始めたものと認識する次第であります。 そうであるならば、総理が大切にされなげればならないことは、政策形成過程の透明化と社会附公正の貫徹による国民各階層に公平を期すことを大切にしていただきたいと考えます。まず、この点について総理の御決意を伺いたいと存じます。 まず、日本の国際的役割についてお伺いいたします。
景気対策無用論というのがございまして、日本の方というのは、割合欲がないといいますか、精神論が好きといいますか、清貧でいいのだとかというような、今回、不況と言ったって別に生活実感がないではないかというようなお話が出てきまして、それでつい政府の皆様方も油断なさった部分というのがあろうかなという気はするのですけれども、それはもうとんでもない間違いであると思っております。